iPhoneスバラシイ!けど封印。

iPhoneの操作感がスバラシイ。指での操作と、スライド感がかなり気持ちいい。キーボードも、ソフトウェアキーボードだとクリック感が無いんだろうなぁと思ってたけど、キーを押したときに「カチッ」という音がでてクリック感がある。
#ただ、いかんせん画面が小さいので、誤押下が多い。

スバラシイと思うと同時に、キャリアの企画じゃこんな端末は10年経っても出てこないだろうなぁと。
Java(JavaME)って何だったんだろう。iPhone見ると、Javaはつぎはぎだらけのおもちゃのプラットフォームにしか見えない。
#経歴が違うから比較するのはかわいそうだけど。


↓に書いてあることに激しく同感。
http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/07/13/entry_27012223/

開発者の自由度を高めることはセキュリティ・リスクを増大させてしまうというトレードオフに直結していることも、技術ドリブンの企業でなければオープン戦略をとることが不可能である大きな理由のひとつです。落としどころの技術的な判断がつかないまま、会議室で議論すればするほど、より自分たちが安全な、より開発者を締め付ける方向にしか行けないのです。

はい、まさに。いやー、図星すぎて悲しい。
その昔、携帯電話みたいな垂直統合型のデバイスなら日本企業の強みが生かせるんじゃないの?的な話があったけど、ありゃー嘘だね。日本の携帯電話メーカのどこに、Apple並にソフトウェアを理解してかつ、こんな端末の企画を通せるところがあると?通話しかできない電話機にちょっとずつ機能を追加しいった行き着いた先のデバイスじゃ戦にならねぇ。

さらに、iPhoneは妥協のない最高のユーザ体験をもたらすために現実世界のハードウェアの制約を含むあらゆるディティールと戦っています。これは、対抗馬となるAndroidなどにみられる理論上・コンセプト上で美しいアーキテクチャを目指す世界観とは対極に位置する、ある意味では泥臭い「本当にきちんと動いてナンボ」のアプローチです。このリアリティは、先月行われたWWDC 2008のセッションで、いかにしてリソースを節約しながら高速に動作するネイティブ・アプリケーションを書くか、というノウハウのセッションがものすごく多かったことが如実に物語っています。テーブルのセルを画面の外に出た瞬間に回収して再利用したり、再描画するエリアを最小化したり、メモリリークをとことん排除するためのツールが提供されていたり。

これらはソフトウェアのアルゴリズムがどうとかそういう大上段な話ではなくて、ユーザが実機で使ったときに「ちょっとでもスクロールがもっさりしてはいけない」というような、学者肌で理論派の開発者が苦手とする、言葉での説明が難しく、たいてい安易に妥協されがちな「フィーリング」の部分です。私は、その非言語的な価値に徹底的にこだわるその姿勢に、アップルの真骨頂をみました。そして何よりも、こうした問題が場当たり的に解決されるのではなく、ベストプラクティスがソフトウェア的に蓄積されていくというのが、汎用のOSやライブラリを持っていることの真の意義なのです。

うはは。こんなことキャリアとキャリアに寄生するソフトウェアベンダじゃムリ。

つまり、オフラインモードやローカルデータベースをサポートするHTML 5が現実のものになってくれば、あえて気合いを入れてObjective-Cでネイティブ・コードを書かなくても、Safari上で同じ動作をするクライアントが書けるようになる3-4年後の未来が読めたはずです。

読めました。目が覚めました。



あー、転職しないとまずいかも、と本気で思った。


今週は仕事のツメなので、iPhoneを手元に置いておくとずーと触ってるので、今週は自宅軟禁の刑。